ディスリは言葉の暴力!言葉は力の暴力の呼び水になる

マイナスのストローク

ディスリは言葉の暴力

私達が暮らす現代でも、見知らぬ人へ向かって
「バーカ」
と言えば、
「なんだと?うるせえ!このバカ」
と返ってくるでしょう?
「そんなコトないよ」
と思うようでしたら、外へ出て、見知らぬオッサンへ向かって「おい!このバカ野郎!」と叫んでみて下さい(笑)
どうなろうと責任は取れませんが(大笑)
言葉は武器になります。
言葉による悪因が、悪果をもたらします。そうしてモメ事が起き、諍いが始まり、最悪は死を賭けて戦うことになります。
DIS(マイナスのストローク)は言葉の暴力といってよく、最終的には国家間の戦争になります。
戦争の発端は、領土の拡大であったり、植民地化であったり、王位継承の争いであったりしますが、いずれにしても、勝者が敗者を弾圧するために起こした争いであることに間違いありません。反対勢力を抑圧するストロークです。

DISは、あの人を殺す

たとえば、わが子へ向かって、
「お前なんか、生まれて来なけりゃ良かったのに」
と言い放ってご覧なさい?
これほどむごいストロークはありますまい。
存在否定ですよ。「死ね」と宣告しているも同然。
子供の心には深く、長く、消えることなく残ることでしょう。言葉による暴力です。
その結果、非行に走ったり、警察の厄介になる子供へと育つかもしれません。
もしかしたら、自殺の引き金になるかも知れません。本質は、いじめと同じです。
が、ストロークを放ってしまったら時すでに遅し。
吐いた唾は飲み込めません。
もう、いくら教育し直したところで、あなたの望む子供には戻れなくなるかも知れません。
その子の子も、同じように「お前なんか」と教育する親に育つことでしょう。
親の因果が子に祟って、まさしく、子供が犯罪に巻き込まれる社会であり続ける。
昔から「口は災いの元」と言われていますでしょう?不幸の呪文を唱える「口は災いの元」なんですよ。言葉は、それほどの威力を持つ。
だから、ディスっちゃいかんのです。言葉の暴力は、力の暴力の呼び水になりますからね。
たとえば、部下や同僚へ向かって、
「お前なんか、いなくなってしまえばいいのに」
と言い放ってご覧なさい?
これほどひどいストロークはありますまい。
その結果、その人が、あなたの名前をメモに残して自殺してしまったら、一生、悔いても悔いきれない記憶となって残りますよね?
さらに、そんな人を雇用している企業は、その責任を取れるんですか?という話です。訴訟になるかも。

DISは、あなたを殺す

誰かの生命の奪うだけじゃありませんよ?
自分の存在を認めないとなると、行き着くところは、自殺しかなくなります。
あなたは
「自殺なんて無関係」
と思っているかもしれません。
が、毎年3万人以上(日本人の0.02%)が、自らの命を断っている現実をご存知ですか?
夢をのせて買う年末ジャンボ宝くじの一等に当る確率(一説では0.0000001%)よりも、自殺する確率のほうがケタ違いに高いんですよ?
だから、
「自分は生きている価値の無い人間だ」
などと自己否定しては危険です。
他人を否定するのも危険です。それを飯の種にしている評論家に任せておきましょう。
自分が自分へ送るストロークは、最終的に、自分の生命を奪うことになりかねません。
マイナスのストロークは、自分へ対する言葉の暴力なのです。お分かりになりますね?
自分が発するマイナスは、自身を窮地へ追い込みます。
面白くないことを「面白くねえ」と口に出したとたん、面白くなくなるDISが襲います。
だから、心の中で「つまらん」と思っても、絶対に口に出してはなりません。絶対に、です。
言葉の暴力に殴られたくなかったら。

マイナスのストロークは、損する

生死にまで関わらなくとも、DISは、小さな損をもたらします。
「面白くねえ」と言い放って、おもしろくない思いをするなんて、気分を害するだけ損でしょう?
世の中、面白いように出来ていませんから、当たり前のことを言うだけ、DISの種が芽生えてしまって、ますます面白くなくなります。
さらに、文章で書き表すと、もっともっと損です。
ちょっとした文章を書くだけで、5分や10分くらい費やしますからね。
何の生産性も無い虚しい作文に、二度と取り戻せない時間が浪費されてしまいます。
そんなモンを書いて喜んでいるほどヒマですか?(笑)
態度で表したら、尚のこと損です。
顔に表せば醜いと言われるし、殴れば殴り返される。
殴り返されなくとも、恨まれること間違いなし。
DISは、科学的な理由の無い呪詛であり、言葉による呪いは確実に返ってきま
す。
科学じゃ立証できない超常現象だけに怖いんですよ。超常現象に逆らおうなんてムリ。
だから、DISは、今すぐに封殺!するのです。

ディスカウンターが寄って来る

ディスれば、それに共鳴して、文句ばっかり言う人達が近寄ってきます。
「おや!ここに仲間がいるぞ」
ってね。
自ら創造できなくとも、批判や非難だけは一人前な人って、どこにでもいるでしょう?
そういう人たちは、まるでハエのように、腐臭を敏感に嗅ぎ取って近寄ってきます。
言葉の暴力が好きな人たちです。
それを知らずにディスっていると、そういう人達とも一旦は意見の合致をみて、嬉しいかも知れません。
ところが、その人達に囲まれているうちに、いずれ仲間達から、いつのまにかディスられることになる。
そこには文句ッタレいう、言葉の暴力好きが集まっているのですから、容易に血祭りに挙げられてしまうでしょう。
その時になって、苦しむのは誰か、言葉の暴力の被害で心を傷つけられるのは誰か、もはや言うまでもありませんね?
放ったディスカウントに苦しむのは、当人自身。体の傷は癒えますが、心の傷は、一生、痛み続けるかも知れません。
彼らの仲間にならない方法は、たった一つ。DISを封じるしかありません。
それが
「自分はディスカウンターじゃないんだ」
との宣言になり、ディスカウンターを近づけぬ護符となります。

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