本質を突く真価へのストローク

ストロークの法則

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本質を突く「真価へのストローク」

人間性の真価とは、あなたが終生失うことのない本質です。

西郷隆盛のように大らかな人柄。マザーテレサのように利他的な活動。平賀源内のように想天外な着想。どれも先天的で、終生失われることはありませんでした。

絵が上手。これも真価です。絵が上手な人へ向かって「上手ですね」と認めれば、よほどの天邪鬼でもない限り、悪い気はしませんよね?

理屈抜きで、映画を観るのが好き。数学が好き。歴史が好き。切手の蒐集が好き。クルマの運転が好き。人と話すのが好き。相談に応じるのが好き。食べるのが早い。足が速い。弁舌さわやか。演奏が上手。将棋や囲碁などのゲームに強い…

誰でも、無性に好きだったり、得意だったりするものが、一つくらい、ありますよね。こうした、終生失われることのない絶対本質が、人間の真の価値、つまり真価です。たとえば、作り話という空想が巧みなら、小説家になれる。

真価は、時に残酷な方向へ至ることもあります。暴君は暴力でのみ真価を発揮しますし、性犯罪者は犯罪によってのみ真価を発揮します。そうした致し方のない方向で花開く真価もありますが、これらは社会から悪として裁かれる類いにつき、ここでは除外します。

先天的な真価・先天的な自由

真価には、芸術やスポーツのように先天的な才に因るものと、勉学や料理のように後天的に伸びる真価があります。

いくら努力したって、すべてのプロ野球選手が球史に名を残せないように、球史に名を残す名選手は、先天的な才があります。

その逆に、天賦の才に恵まれているからといって、何の努力もしない人が、いきなり大成するわけはない。イチロー選手にしたって松井選手にしたって、天賦の才に恵まれていながら尚、人の何倍も練習するといいます。人の何倍も野球が好きだから、人の何倍も練習できるのかもしれません。

ある小学生は野球が大好きで、野球部に所属していました。が、万年補欠で、人の二倍も練習しているのに、レギュラーになれなかった。よく「万年補欠」とからかわれていました。それでも好きな野球を辞めずに、万年補欠のまま、小中学校を終えました。彼は、小中学校まで、私の同級生でした。

高校進学を機に彼は、

「野球が好きなことと、野球のプレイヤーになることは違う。好きなだけなら、野球観戦でも、野球ファンでも良い」

と、長所である持久力を活かし、陸上部のマラソンへ移りました。すると、瞬(またた)く間に好成績を挙げ、地方紙のスポーツ欄に載るほどまでの選手になりました。彼は、球技には向いていませんでしたが、陸上に向いていた。

野球がダメだからといって、その人の全ての真価が否定されるものではない。ということは、野球の上手下手で能力を判断するのは間違っていることになりますね?

野球がダメなら、他の道へ進む方法もあります。彼の場合は、持久力という真価が認められることによって、進むべき道で成功できた例といえましょう。

後天的な真価・後天的な自由

先天性がなくとも、学力試験は、後天的な努力によって向上します。いくらIQが高くても、勉強しないことには始まらない。

よく「自分は、勉強すりゃ100点を取れる人間だ」との自己欺瞞を耳にすることがありますが、「それじゃあ、勉強してみい?」って話でして、やればできるなら、やればいい。それができない。

勉強するかしないかは、天賦の才ではなく、後天的な努力によるものです。どんなに記憶力が良くたって、勉強する自由をコントロールできないから、100点を取れないだけです。

その自由をコントロールする力や、信用を築き上げるといった、目に見えない絶対本質までが真価に含まれます。誠意や克己ですね。努力家と呼ばれる人は克己心(こっきしん。己に打ち勝つ心)が強い。

先天的な真価をどうのように伸ばすのも、後天的な自由です。後天的な真価を見つけるのも、自由です。それを自分で見つける人もいますし、いろいろな人に出会うことで見つける人もいます。

もし、あなたが、後天的な真価に気づいていないとしたら、いろいろな味方に出会って、雑談することです。味方の声に、注意深く、耳を傾けてみて下さい。何気ない会話の中に、あなたの真価を見つけることでしょう。

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