
「親の愛情を注ぐ」
といっても、具体的に、どう注げばいいのでしょうか?お分りになります?
「子を持って知る、親の恩」との言い伝え通り、親になれば自然と身に付くことかも知れません。が、秋田連続児童殺害事件の母親容疑者を例示するまでもなく、愛情の注ぎ方を知らない父母達がいるのも確か。
そうした、愛情の注ぎ方を知らない親みずからが不幸になるならともかく、愛情を注がれない子供たちが不幸に育ち、やがて、事件に巻き込まれ、事件を起こし、三面記事に載るのは、もはや社会の不幸といっていいでしょう。犯罪の年少化・凶悪化ともなれば、大きな社会問題です。
子供だけではありません。大人でさえ、人間関係が原因で、精神障害を患ったり、会社を辞めざるを得ない状況に追い込まれています。
実際、大人たちが集う一般の会社や組織で、よく掲げられがちな「和を以って貴しと為す」という規範(聖徳太子の十七条憲法一曰)は、一体どうすれば実現できるのでしょうか?
その実現方法を知っている社長さんは、日本全国430万社のうち、一割の43万人いるのでしょうか?
その社長を補佐し、部下の上に立つ、上司と呼ばれる管理職の何%が、方法論を知っているのでしょう?
はたまた、130万人以上の教師の中の、何十万人が知っているのでしょう?
1,670万世帯にのぼる子供をもつ家庭の、何人の親が知っているのでしょう?
そうした「愛情の注ぎかた」や「人の和を作る方法」こそが、蔑(さげす)まずに敬(うやま)い、貶(おとし)めずに褒(ほ)め、否定せずに肯定することで好循環を起こすストロークの法則なのです。
なのに、ほとんどの人が、マイナスのストロークという不幸の呪文の唱え方は身につけていながらも、プラスのストロークという「幸せになるおまじない」 の唱え方を知りません。
「なぜ、否定せずに肯定することが、自分を幸せにする方法なの?」って?
はい。あなたは、一人でポツンと無人島に生きているのではありませんね?とすると、あなたには、あなたを中心とした幾つもの円(コミュニティ)があるはず。
あなた一人だけが幸せになることはない理由
あなたを中心とした円とは、プライベートでは、あなたと友人、あなたと恋人、あなたと配偶者、あなたと子供、あなたの家族といった幾つもの円のことです。
公には、あなたの所属する会社や組織が大きな円であり、その中のあなたの部門が中くらいの円であり、あなたが属しているチームが小さな円になります。外にも、商工会や町内会、顧客との付き合いといった幾つもの円があります。
それぞれの円の中心にいるのがあなた。相手にとっては、円の中心にいるのは相手自身で、あなたは、相手の円の内側にいるイメージ。
無人島に生きる人でもない限り、一つも円を持っていない人はいません。みんな、自分を中心とした幾つもの円を持っていますし、相手を中心とした幾つもの円の内側にいます。それらの円を行き来しながら暮らしている。
よく考えてみて下さい。あなたの価値をあなたダケが認めているとしたら、たんなる自己満足に過ぎませんね?自己満足だったら、無人島で生きていたってタップリ浸れます。
しかし、一つでも円ある限り、あなたの価値は、円の中の他の人に認められて初めて、本当の価値になるのではないでしょうか?
とすると、あなたの価値が認められない円の中にいて、どうしてあなたが幸せになれましょう?あるいは、あなたの存在が否定される円の中にいて、どうしてあなたが幸せになれましょう?
その逆に、あなたが「お前なんか要らない」と、円の中の人を否定して、どうしてあなたダケが肯定されましょう?肯定どころか、「ふん。こっちこそ要らんワ」と去られてしまい、あなたの円の中には誰もいなくなってしまう。
いかがです?「あなたがいてくれて良かった」と認められる円の中にいてこそ、あなたは幸せになれるのと違いますか?
だから先ずは、あなたを中心とした円を幸せに導きましょう。円の全方向360度へ向けて、プラスのストロークを放つのです。
それが、あなたを中心とした円を成功へ導く方法であり、延いては、あなたが幸せになる方法です。