他人の不幸は蜜の味♪誰の心の中にもあるディスカウント
「私って、なぜか幸せ」
それは、知らず知らずのうちに、ストロークし続けてきたからです。いつの間にか、幸せになる言葉を唱えてきたワケ。
「どうして自分は孤独なんだろう?」
はい、それは、独りぼっちになって当然のディスカウントなる不幸の呪文を、知らず知らずのうちに唱えてきたから、誰からも相手にされなくなってしまったんです。
原因は、自分にあった。
他人(ひと)のせいじゃありません。それに気づかずに生きてきただけなんです。
では、どうして、ディスカウントなる不幸の呪文を、誰から教わるともなく、知らず知らずのうちに唱えてしまうのでしょう?
※ディスカウントとは、「あいつはダメなやつだ」のように、相手の価値を値引くことで、気分を良くする、心の作用
なぜなら、人間だれしもストレスがあり、防衛本能があり、警戒心があり、猜疑心があり、嫉妬心があるからです。
「他人の不幸は蜜の味」という諺があるくらい、人の心の中には、悪なる性が棲みついています。
それを取り払うのが、プラスのストロークという幸せになるマジック。
しかし、そのマジックを、知る人は、ごく少数。
まるで、秘法です。
愛情の注ぎ方を知っていますか?
たとえば、「親の愛情を注ぐ」
といっても、具体的に、どう注げばいいのでしょうか?お分りになります?
「子を持って知る、親の恩」
との言い伝え通り、親になれば自然と身に付くことかも知れません。
が、児童殺害事件の母親容疑者を例示するまでもなく、愛情の注ぎ方を知らずに親になる父母達がいるのも確か。
そうした、愛情の注ぎ方を知らない親みずからが不幸になるならともかく、愛情を注がれなかった子供たちが不幸に育ち、やがて、事件に巻き込まれ、事件を起こし、三面記事に載るのは、もはや社会の不幸といっていいでしょう。犯罪の年少化・凶悪化ともなれば、大きな社会問題です。
子供だけではありません。大人でさえ、人間関係が原因で、精神障害を患ったり、会社を辞めざるを得ない状況に追い込まれています。
実際、大人たちが集う一般の会社や組織で、よく掲げられがちな
「和を以って貴しと為す」
という規範(聖徳太子の十七条憲法一曰)は、一体どうすれば実現できるのでしょうか?
その実現方法を知っている社長さんは、日本全国430万社のうち、一割の43万人いるのでしょうか?
その社長を補佐し、部下の上に立つ、上司と呼ばれる管理職の何%が、方法論を知っているのでしょう?
はたまた、130万人以上の教師の中の、何十万人の教師が知っているのでしょう?
1670万世帯にのぼる子供をもつ家庭の、何百万人の親が知っているのでしょう?
そうした「愛情の注ぎかた」や「人の和を作る方法」こそが、蔑(さげす)まずに敬(うやま)い、貶(おとし)めずに褒(ほ)め、否定せずに肯定することで好循環を起こすストロークなのです。
なのに、ほとんどの人が、ディスカウントという不幸の呪文の唱え方は身につけていながらも、プラスのストロークという幸せになる呪文の唱え方を知りません。
「なぜ、否定せずに肯定することが、自分を幸せにする方法なの?」って?
はい。あなたは、一人でポツンと無人島に生きているのではありませんね?
とすると、あなたには、あなたを中心とした幾つもの円(コミュニティ)があるはず。
そのコミュニティの中にいるから(たとえば会社なら給料があって)食べていけるし、暮らしていけるのです。人は縁なくして生きられません。
縁の中の他人に認められてこそ、価値になる
あなたを中心とした縁とは、プライベートでは、友人、恋人、配偶者、子供、家族といった、幾つもの縁のことです。公には、あなたの所属する会社や組織が大きな縁であり、その中の部門が中くらいの縁であり、属しているチームが小さな縁になります。
外にも、商工会や町内会、顧客との付き合いといった幾つもの縁があります。
それぞれの縁の中心にいるのがあなた。
相手にとっては、縁の中心にいるのは相手自身で、あなたは、相手の円の内側にいるイメージ。これが血縁、地縁、くされ縁などの円(縁/コミュニティ)です。
コミュニティ(円/縁)の中で交わされるのがコミュニケーション。
無人島に生きる人ならばともかく、一般社会では、みんな、自分を中心とした幾つもの縁を持っていますし、相手を中心とした幾つもの縁の内側にいます。それらの縁を行き来しながら暮らしている。
よく考えてみて下さい。
あなたの価値をあなたダケが認めているとしたら、たんなる自己満足に過ぎませんね?
自己満足だったら、無人島で生きていたってタップリ浸れます。
しかし、一つでも縁ある限り、あなたの価値は、縁の中の他の人に認められて初めて、本当の価値になるのではありませんか?
とすると、あなたの価値が認められにくい縁の中にいて、どうして幸せになれましょう?
あるいは、あなたの存在が否定される縁の中にいて、どうして幸せになれましょう?
その逆に、
「お前なんか要らん」
と、縁の中の人を否定して、どうしてあなたダケが肯定されましょう?
肯定どころか、
「ふん。こっちこそ要らんワ」
と去られてしまい、縁の中には誰もいなくなってしまう。
いかがです?
「あなたがいてくれて良かった」
と認められる円(縁)の中にいてこそ、幸せになれるのと違いますか?
だから先ずは、あなたを中心とした縁を幸せに導きましょう。円の全方向360度へ向けて、ストロークするのです。
それが、あなたを中心とした縁を成功へ導く方法であり、延いては、あなたが幸せになる方法です。