ピュアな人ほど誰かをDIS(ディス)るのはナゼ?
DIS(ディス。ディスカウント。ディスペクト)は、げに恐ろしき惨禍を招く不幸の呪文。その呪文を何気なく使ってしまうのは、世の中が、面白くないように出来ているから。
決して絶望させたかったわけじゃありませんよ?お間違えにならよう。そりゃあ、
「可能性に満ちた 素晴らしい世の中を 面白おかしく生きよう!」
なんてヘタな慰めのほうが、当たりは柔らかいでしょう。
では、そんな慰めで、問題の本質が解決しますか?
幻のような明るい見通しを信じて、座して待っていて、思いがけず、幸運に恵まれるほど、世の中は甘くありませんよね?
世の中、良いことばかりじゃありません、絶望したくなることだってある。
その現実を知ることで、プラスをストロークする理由が納得
できます。つまり、他の誰でもなく、あなた自身で面白くしなければ、いつまで経っても面白くありません。誰かが何かしてくれるなんて、世の中は甘くありません。みんな、自分の幸せのために(食うために)生きているんです。あなたの幸せのために生きているんじゃありません。
甘いの反対は辛(から)い。辛(から)いは辛(つら)いとも読みますよね?
世の中ツラいのよ。
からいと書いてつらいと読む |
人を信じ込ませるカラクリ
とはいっても、純粋な人ほどDIS(ディス)してしまいがち。ピュア(純粋)な人というのは、やましい心根が有るか無いかではなく、
疑わずに信じやすい人
のことです。純粋な人ほど、見聞きしたものに対し、それが本当かどうか確信を持たずに、「へえ、そうなんだ」
と信じてしまう。とくに、専門家の意見というだけで、
「ほー。なるほど」
と感心してしまう。これをマーケティングではオーソリティ・エンドースメント(AuthorityEndorsement:権威者の承認)といいます。
その道の権威者が認めたことは正しいと思いがちなんですね。それが間違っていると分ったとき
- 違うじゃん
- ウソつき
- 信じらんなーい
あなたは専門家を信じますか?
あなたも専門家の一人くらい知っていると思います。その道の専門家だからといって、すべてを知り尽くしているわけじゃありませんよ?
弁護士が六法全書を諳(そら)んじられますか?
ムリでしょ。
たとえば筆者は、マーケティングの本を書く専門家ですから、マーケティングに関しては、大体のことを知っていますが
「ジムコブスの99のオファー」
を諳んじろといっても、ムリです。アンチョコがなければ答えられません。
学校の教師だって、そうです。アンチョコがあるから
「教師でござい」
と、堂々と教壇に立てる。教壇に立っているとはいえ、模試で100点満点を取れる教師が何人います?
仮に、アンチョコがなくとも、100点満点を取れるかどうか、どこかのテレビ番組で企画したら面白いかも知れません。
フジテレビ系列の番組「平成教育委員会」で、その道のプロ達であっても、100点満点は至難の業でしたからね。
友人の内科医は、
「現代の西洋医学で治せる病気は20%に過ぎん。80%は治せないのさ」
と、コッソリ語ってくれました。
「医者だからといって完璧なハズなかろう。医療ミスだって有り得る。医者は神様じゃないから」
と。
別に、先生と呼ばれる職業を見下しているわけじゃありません。
人は、忘れる生き物ですから、全ての記憶を保っていられません。
先生と呼ばれる職業の全てが、生き字引であるはずは、ありませんよね?。忘れて当然だし、知らなくて当然。だって人間だもの。
専門家でさえ、この通りです。いわんや素人をや。
仕事か趣味の領域でもなければ、私達は極めてアヤフヤな知識のまま、話の深層まで理解せず、確かめもせず、何気なく会話しています。
たとえば、アンケートという言葉は英語だと思っていませんか?英語ではありませんよ?フランス語です。
第60代総理の苗字にしたって、
- 安部なんだか
- 阿部なんだか
- 安倍なんだか
- 安陪なんだか
- 阿倍なんだか
あなたはデータを信じますか?
調査(リサーチ)に至っては、分析次第で、何とでも解釈できます。たとえば、国税庁が発表した日本のサラリーマンの平均年収は454万円。
平均なので、
「450万円が普通」
とか、
「過半数が150万円」
などと思ったら大間違い。
年齢別、性別、勤続年数別、業種別、職階別、資本金別、企業規模別に差があるのは当然として、数字のマジックもあるのです。
わかりやすく極端に例えれば、年収1500万円が15人いるとすれば、残りの85人は、年収265万円です。
15対85ですから、年収265万円のほうが圧倒的に多い。
しかし、平均450万円といわれれば、450万円のほうが多いように感じてしまう。
これが「平均年収450万円」のカラクリ。
マーケティング的には、とても平均値だけを信じるワケにはいかきません。平均値に加えて、最頻値と中央値の3つが最低でも揃っていなければなりません。
しかし、報じられるのは、ナゼか平均値のみ。
省庁は、
「平均年収が450万円なんだから、みんな、並の暮らしは確保できているよね。日本は豊かだね」
とでも言いたいのでしょうか。これが情報操作というヤツです。
ならば、
「最初から信じなきゃイーじゃん」
なんていいません。
せめて、一旦は自分で考えてみましょうよ。その考え方が逆説の(paradox:パラドックス)ストロークです。
断らずに断る!表裏を使い分ける方法
あなたの視点が表だとすると、あなたとは正反対の裏の視点もあります。とくに、私たち日本人は、表裏の使い分けがうまい。京都で、「ぶぶづけ(お茶漬け)でも食べはっておくれやす」
と勧める本意は、
「帰って下さい」(お茶漬けのような粗餐しか用意できませんから)
という意味であることが有名になったこんにち、かの地では、お茶漬けを饗するときに、
「ぶぶづけ出すさかいゆうて、帰ってほし思てるわけやあらへん」
と、わざわざ補足することがあるとか。
おぶづけの話は、
「食事をどうぞ」=「帰って下さい」
という日本語の表裏を面白おかしく表現した例え話ですが、日本には、断らずに断ることで、集団の和を保つ努める風習があります。
ストレートに言えば角が立つから、婉曲な言い方で「あ、そうか」と、気づかせる。こうした話し方は、男性より女性が上手ですね。
気に入らない男性からプロポーズされても、NO!と真正面から断らずに、
「私には、もったいない人だから」
「他に、ピッタリの人が見つかるよ」
とか。こうした暗黙のルールは、風習や文化を同じくする集団の中で通じます。
ファーストネームとファミリーネームの順序のように(組織あっての個人を重んじる農耕土着型の日本的思考に対し、個人あっての組織である狩猟移動型の欧米的思考が異なるようなもので)日本は集団を重んじますから、和を乱さずに暮らすために、表裏の使い分けを自然と身につけています。
使い分ける方法はカンタン。
先ずは、プラスのストローク。そのあとに、辞退する(身を引く。謝る)だけです。