好機のCHANCE、と変化のCHANCE、CHANCEとCHANCEの英語は、一文字違い。
チェンジ、チャンス、好機、幸運、機会、ラッキー、ハッピー、果報、オケージョン……
言葉は何でも構いませんケド、チャンスを、逃す人と、つかむ人がいますよね。
逃す人は、いつも逃し続けて、何の結果も出ないまま、相も変わらず。
本人にとっては、失敗しないことが最良ですから、結果を出さないほうが無難だったりして。
ところが、人には、嫉妬や妬みの感情がありますから、上手くいっている人の話を聞くと、
- 「うらやましいな~」
- 「自分もそうなりたいな~」
- 「他人より成功したいな~」
と思う。思うけれども、動かない。動かなければ、結果も出ない。
日々その繰り返し。
だから、多少なりとも関心のある人が失敗すると
「いい気味♪」
と溜飲を下す。「他人の不幸は密の味」というヤツです。
他人の不幸を喜び、願い、どうして自分だけが幸せになれましょう?
他人の幸せを応援することで、応援された側からも、
「応援してくれて、ありがとう!こっちも、応援するからね」
という好循環が生まれるのではないでしょうか?
一方の、つかむ人は、いつも、つかみ続け、成功なり、失敗なり、結果を出し
続け、いつの間にか、チャンスをモノにしています。
チャンスをモノにするということは、勝機に恵まれ、いつの間にか、勝ち続け、いつの間にか、成功しています。
彼らは、チャンスにしても成功にしても、幸運の女神は、目に見えず、気配もしない、ささやかなものであることを知っています。
ささいな何気ない女神だから、女神を逃さないようにアンテナを張っています。
なんでもないようなことなのに
- 「これはチャンスかも」
- 「いい機会に恵まれているかも」
- 「幸運の女神がいるかも」
と探ります。
だからチャンスを逃さない。
チャンスを逃す人は、明らかにチャンスと分かる機会のみ、勝機であると捉えます。
日常の小さな小さなチャンスなんか、チャンスと見なしません。だから、逃す。
「そんなのダメ。チャンスでも、なんでもない」「なんだ、こんなもん」
と逃し続ける。挙句の果てに、
「どうして、自分にチャンスは来ないんだろう?」
「どうして、あの人ばかり、チャンスに恵まれるんだろう?」
と不思議に思います。そして「失敗しちまえばいいのに」と妬む。こりゃもう憐れですらあります。
つかむ人は、チャンスに敏感で、チャンスが到来すると、
「やりたい!やろう!やらなくちゃ!」
と動き始めます。
時には失敗もするでしょう。
しかし、その失敗の中にさえ、成功の母、幸運の女神がいることを知っていて、チャンスにアンテナを張ります。
いやさ、どちらが正しいという話ではありませんが、
「やれば失敗。やらなければ大失敗」
「後悔、役に立たず」
であることは確かなようです。
時は、買い戻せませんから。
幸運の女神には後ろ髪がない
とは、よく言ったものです。