不合格は他の誰かが選ばれた通知。選ばれるし、選ぶのが人生

クリスの人生相談薬

大学の一つや二つ落ちたって別にイーじゃん

オレ、クリストファー。よろしく。クリスって呼んでくれ。
1月の大学入試も終わってサ、いよいよ受験シーズン真っ盛りってカンジよね、日本は。
オレが育ったアメリカも、3月とか4月に、大学の合否が、発表されるんだ。入学は、9月だけど、ね。
そこで今日は、合格と不合格について、ちょっと考えてみよーぜ。
オレもさ、落ちた大学、いっぱいあったよ。
  • コロンビア大学だろ?
  • プリンストン大学だろ?
  • スタンフォード大学だろ?
  • ノースウェスタン大学だろ?
  • ジョンズホプキンズ大学だろ?
  • カリフォルニア大学だろ?
  • ジョージタウン大学だろ?
  • カーネギーメロン大学だろ?
  • バージニア大学だろ?
  • ボストン大学だろ?
What?落ちすぎ?
だよな~www
不合格の通知なんか来るとサ~、ガクーって来ちゃうワケ。
「こんなモン、送って来んな」
ってナもんさ。
大学受験に全てを捧げた受験生にとっちゃ、存在すら否定されたような気分になるワケ。それ、すンごい分るワケ。
といってもオレ、別に、大学受験に全てを捧げなかったから、存在否定されたとは思わなかったケド、それでも、
「うわー。落ちちゃったよ」
って落ち込むんだよなあ。受験料を親に払ってもらってるしサ、受験に落ちて落ち込むW落ち込み。

志望校に入れなくて良かったかも

でも、あれから四半世紀以上が経つんだけど、オレ、ちゃんと生きてるしさ、誰もオレの存在を否定していないワケ。
それどころか、今じゃ、オレのまわりに集まってくれる人たちが大勢いるワケ。幸せなのよ、オレ。
それを今、逆に考えればサ、あの時、志望する大学に入れなくて、
「良かったなー」
と思うんだよなあ。
あのとき、志望校に入っていたら、今の幸せを得られなかったかも知れないってワケよ。そんなモンなのよ。人生万事塞翁が馬って、中国のことわざにある通り。

他人から見れば、単なる「志望校に受からなかった人」

なのに、落ちちゃった人達ぁ、
「あーあ。オレ、世の中に必要とされていない」
って、テメー勝手に落ち込んで。テメー勝手に地獄みてるワケ。
地獄でも何でもネーのよ。「オレ、ダメ」って、テメー1人だけで、そう決め付けちゃってるダケなの。
他から見れば、単なる「志望校に受からなかった人」ってダケの話よ。

他の誰かが選ばれたって通知が不合格通知

合格・不合格ってのはサ、存在の否定じゃなくてサ、ただ単に、他の誰かが選ばれたってダケの話なのよ。
わかる?
不合格が悪いんじゃネーの。誰も悪くネーの。選ばれた人と、選ばれなかった人がいるってダケなのよ。
賞なんかには、該当者ナシってのもあるでしょ?それは、誰も選ばれなかったってコトに過ぎないんだよね。

受かる人がいれば、落ちる人もいる

だって、そーじゃん?受かる人がいれば、落ちる人もいる。単純な話さ。
ましてや、受験に負けたってコトじゃねーの。勝ち負けじゃネーの、上下じゃネーの、左右なの。右へ行くか、左へ行くか。
選ばれたか、選ばれなかったか、たった、それダケのコトなんだよね。合格・不合格って決め方は、向こうの都合なの。
こっちのも都合があるように、合格したからといって、入学するとは限んねーよな?

みんなの望みが叶ったら、みんな合格者

だから、落ち込むことなんかナイのさ。落ち込むのはサ、望みが叶えられなかったってダケのことなんだよね。
望みが叶えられないからって、落ち込んでいたら、年がら年中、落ち込んでなくちゃなんないよ。

自分の思い通りにならないように出来てるのが世の中

大学を受験する歳じゃ分んないかも知んないけど、世の中って、自分の思い通りにゃ絶対にならないように出来てるのよ。
「あーした天気になーれ」
ったって、天気になるかどうかは、お天道さまが決めることで、個人が決めることじゃナイぜ?
なのに、
「晴れるように祈ったんだけど、雨降って、とても哀しい」
って、イチイチ落ち込んでらんネーじゃん。

天気になるかどうかは、お天道さまが決めること

その人が晴れて欲しくたってサ、広い世の中、どっかに必ず、雨が降って欲しい人もいるワケじゃん?農家の人とかさ、水不足の地域とか。
そんな人達のコト、考えたコトあるかってーの。旱魃(かんばつ)なんつったら、そりゃ悲惨だぜ?そーゆー人達に言わせれば、
「遊びに行くのに、あした天気になーれ」
だなんて、とんでもねーって話になるワケよ。だって、そういう人達にとっては、死活問題なのよ。

人生を賭けて叶える望みは、天才だって、せいぜい一つ

だからサ、望みが叶えられなかったからといって、ベソベソしてんじゃねーっての。
みんな、そういう中で生きてんのよ。
つらいのは、一人だけじゃないの。みんな ツ・ラ・イ の。
だいたい、
「アレも叶えたい、コレも叶えたい」
なんて、贅沢だっつーの。どれか一つにして、それ以外は、他の誰かへ譲ってやったって、バチは当たらナイじゃん?
人生を賭けて叶えようとすることなんざ、一つでイーのよ、一つで。
偉人さんを見てみなって。

  • ベートベンは音楽、
  • 紫式部は源氏物語、
  • ワシントンはアメリカ独立、
  • 松下幸之助は松下電器、
  • ジェンナーは天然痘、

みーんな一つを成し遂げて終わるわけ。

ナントカ大学に合格したことが偉業な偉人はゼロ

この人達の中に、
「ナントカ大学に合格」
って偉業が残っている人、いる?いないじゃん?
なんでか、分る?
大学より、社会に出てから何を為すか?ってコトの方が大事なの。
そりゃあ、事務次官になりたいのに、東大に入れないと嘆いている人もいるかもね。

他に向いている人がいる

でもサ、それってサ、その人が事務次官に向いていないって意味じゃなくってサ、その人以外に、もっと、事務次官に向いている人がいるってコトなんだよね。たった、それだけの話。
それって、誰が決めて、誰が選んでんのかって?
天さ。
天ってのは、神とか仏とか、そーゆー宗教っぽいヤツじゃなくて、運命みたいなモンさ。

合格か、不合格か、決めているのは、お天道様

運命っつーとサ、なんか、精神世界みたいな話になっちゃうケドさ、そんなんじゃなくてさ、みんな、何事か為す使命を帯びて、地上に生まれてきたってコト。
それが、大学に受かることかい?
そんなチッポケな使命でイーんですか?って話なのよ。
だから、一人一人の存在が、尊いの。おたくを待っている誰かが、どこかに必ずいるの。それを探す旅なのさ。

あなたを待っている誰かを探す旅

その旅立ちの舞台として、大学を選ぶヤツもいるし、大学を選ばないヤツもいる。
大学側だって、受験生を選んでいる。
落ちるってコトは、右へ行こうとしたら、行けなかったってダケの話なのよ。
右へ行きたかった望みが、叶えられなかったダケ。
んじゃ、どーするか?もう決まってんじゃん。

  • もう一回、右へ行こうと挑むか?
  • 左へ行くか?

のどっちかサ。

選び、選ばれつつ、道を決めていく

その分かれ目の節目節目に、選び、選ばれつつ、オレ達は道を決めていく…それが「生き方」ってヤツなんじゃねーの?
大学の合否も、節目の一つにしか過ぎないのよね。生き方の、ほんの一部分さ。

合格・不合格は人生の節目の一つ

大学のひとつや二つ、落ちたって、別に、いーじゃん。それは、天が、
  • 別の道を探すように示しているか
  • または、もう一回チャレンジするか
問うてんの。だったら、いつまでもクヨクヨしてないで、次にどうするか、決めようぜ。
寝てたって、明日は来るんだから。

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