プラスのストロークとマーケティング・マネジメント
お金さまよりも、お客さま重視のマーケティングを用いて経営する会社の営業(マーケティング・マネジメント)は、営業マンが率先して、お客さんへ、ストロークしましょう。
すると、お客さんからも、十に一つか二つ、プラスのストロークが返って来ます。
そのプラスのストロークが、営業マンの「やる気」を引き出します。
マクレガーのXY理論やら何やら、こ難しい理屈を並べるまでもありません。
経営者や上長が「売れるまで帰ってくるな」とハッパかける必要もありまん。
営業マンが、お客さんを、労うこと。称えること。励ますこと。褒めること。
たった、それだけで、いいのですよ。
カンタンでしょう?
そうすると、お客さんからも、励まされます。頼りにされます。褒められます。労われます。愛されます。称えられます。
その最終形態(営業活動における究極のプラスのストローク)が、発注です。
お客さんから、
「他社の営業マンじゃダメなんだ。あなたから買いたい」
と言ってもらえる好循環が起こります。
好循環の上昇気流に乗った人間関係は、ますます好循環を巻き起こします。
これを、ストローク・スパイラルの法則といいます(筆者考案)
外部(お客さん)から褒められるのが、営業マンの精神的価値を高める最短かつ最速の方法です(経済的価値は、給料です)
叱るほうも不幸 叱られるほうも不幸
その(外部からのストロークの)反対に、社長命令にしてでも、封じなければならないのが、内部からのディスです。具体的には、経営者や、上司や同僚や部下から、どつかれること。見下されること。馬鹿にされること。怒鳴られること。いじめられること。
「いじめられるほうが悪い」
という意見もありましょう。営業成績が悪ければ、吊るし上げられるのが営業の宿命ですからね。
筆者は、営業部に所属した経験こそありませんが、自分で興した会社の営業は自分でやらなければなりませんでしたし(成績が悪ければ倒産しますし)、
過酷な営業で有名な某社で新規の営業アルバイトを経験したとき、その吊るし上げ現場に、何度も居合わせ、針のムシロに、閉口したこともあります。
ふくろ叩きの営業会議では、DISが吹き荒れるのです。
営業の営の字も知らなかった二十代の前半とはいえ、幸運にも、筆者の数字は良かったタメ、拷問に近い責め苦を負うことはありませんでしたが、数字が悪ければ、社員といえども、営業会議という名の虐待に苛まれていました。
営業職は、実力社会ですから、社員も、アルバイトも、関係ありません。
年齢も、性別も、人間性も、学歴も、関係ありません。
人間性に優れた、高学歴の社員であっても、数字が悪いだけで、鬼畜あつかいされていました。
おそらく、もっと凄まじい販売会社があるでしょう。
詐欺に近い商法を教え込む企業もあるでしょう。
いずれにしても、数字が悪ければ、叩かれる。数字が悪ければ、いじめられる。
数字が悪ければ、見下される。それが現実です(一部の企業の営業部門では)
叱り方を知らずに管理職になると、数字のストレスが、怒りになって表れます。
叱るほうも不幸。叱られるほうも不幸という悪循環が発生します。
社長命令にしてでもDISを封じよ
なぜ、DISが吹き荒れるのでしょう?営業は、売上金額や、利益率等、お金の数字が、すべて…だからです。
経営も、売上や利益などの資金(お金)が第一だから…です。
経営と営業の間に、マーケティングが介在すると、顧客が軸になりますから、DISは吹き荒れにくくなりますが、経営戦略と、営業戦略が直結すると、社内の命令系統は、
経営者「資金の元になる売上高を増やせ」
↓
営業部長「商品を売って、売上目標を達成しろ」
↓
営業部員「商品を買って、代金を下さい」
と、お金を軸に垂直落下します。
ドラッガー教授の代弁ではありませんが、経営の目的が、利益の数字になると、おかしな経営になります。
最悪、お客さんの健康を害し、命まで落としかねない企業になります。
その影響は、社内にも、DISとして跳ね返ってきます。
DISは、社員の自信を失わせ、精神を病み、職を奪い、人生さえ変えかねません。
企業は(いじめた人は)その責任を取れるんですか?という話です。危機管理ですね。
社員の精神的な価値を高めたかったら(平たくいえば、社員の幸福を願うなら)DISを封じなければなりません。社長命令にしてでも、
- プラスのストロークを勧める
- DISを封じる